意識の遠くの方からぴりりという電子音が聞こえてきて段々大きくなり、その音の正体が分かる頃、ぼくはようやくiPhoneのアラームを止める。起き抜けのぼんやりとした頭でツイッターの画面をスクロールし、昨日の夜から朝までに溜まったツイートをチェックするが、目ぼしいものは何もない。物足りない気持ちでフェイスブック、インスタグラムを巡回して、それからもう一度ツイッターを確認したあと、やはり物足りない気持ちでiPhoneを閉じた。カーテンを開けると外は曇り空で、ベランダに干した洗濯物の向こうに薄墨色の雲がわだかまっている。8月に入ってすでに3週間以上が経っていたが、よく晴れた日は全くといっていいほどなかった。昨日の昼のワイドショーによると、それは観測史上初の出来事であるとのことだった。空気の底に微かな湿り気と冷気を感じ、傘を持って家を出た。

 大学に向かう途中で、聞き慣れない言葉を聞いた。「エスエルビーエムニヨル、攻撃ノ可能性ガアリマスノデ......」駅のアナウンスがそう言っていたのである。乗り込んだ電車はいつもと変わらない混み具合で、いつもと変わらない表情の乗客たちが無為の時間を埋めるようにスマホの画面を眺めていた。電車の中にはそこかしこに気鬱と倦怠が立ち込め、不安と気疲れと諦めが染み付いたような顔の乗客から吐き出される溜め息は無色の澱みとなって人々を覆う。まだ何も始まっていないのに全てが終わったかような気だるさに満たされて、朝の電車は都心へと向かうのだった。ぼくはオーディオテクニカの安いイヤホンを耳にねじ込んで、ザ・バーズを流し始める。高架を走る列車の車窓からは、どんよりとした灰色の空と、同じように灰色に霞んだ背の低い街並みが遠くまで広がっていて、ぼくはそれを眺めながらこの古いロックバンドが歌う、メロディアスで優しく温かいカントリー風のサウンドに耳を傾けた。こんな日は古い音楽をきくに限る。ぼくが聴いていたアルバムはグラム・パーソンズが唯一バンドに参加していた時のもので、それまでのフォークやサイケデリックな作風から一転してカントリーの面影が濃く残っていた。時おり挟まれるピアノの柔らかな響きは、明るいようでいてどこか憂いを含む。音楽性の転換にも関わらず、彼らの美しいハーモニーは健在だった。

音楽は人を主人公にする。こんな陰鬱な日でさえ、音楽を流すと、目に映るもの、自分のいる世界が映画の中の光景のように感じられる。そして、この陰鬱さや退屈さは人生を揶揄するための演出で、つまらない日常を過ごすぼくはそのつまらなさを揶揄するために、つまらなさに付き合ってやっているのだと、そんな風に思ってみたりもした。音楽を単なるBGMとして扱うわけではなかったが、ぼくにとって音楽は変わりばえのしない日常の、ささやかな慰めでもあった。

新宿に着く頃、車内のところどころで警報をしらせるアラート音が鳴った。けれど、誰も気にする人はいなかったし、アラートの音もすぐに止んだ。降り立った新宿では電車が一時止まった影響で、JR線のホームはどこも人で溢れかえっていた。ぼくはなんとか山手線に乗り込み、狭い車内で手を縮こめながらiPhoneを開いた。後から後から入ってくる人並みに追いやられながらもなんとか自分の居場所を確保して、既に再生が止まったミュージックから違うアルバムを開き、再生する。ドアが閉まって電車がゆっくりと動き出し、イヤホンからはエリック・カズの歌声が流れ始める。ぼくはほっと息をついて、窓の外に目を向けた。その瞬間、視界が真っ白に光り、耳が聞こえなくなった。それはぼくの鼓膜が破れたからだったのだが、ぼくがそれに気づくことはなかった。次の瞬間には、爆風と熱線が辺りを焼き尽くし、ぼくの体は周りの人もろとも蒸発して跡形もなくこの世から消え去っていた。